MADE IN TAMRON 人と技でつなぐタムロンのものづくり
トップ > タムロンのものづくり > ものづくりの現場を訪ねる > 第9回 工場で交換レンズを作っている人たち
- 第1回
MADE IN TAMRON - 第2回
タムロンレンズが大切にしていること - 第3回
描写のフィロソフィー - 第4回
交換レンズができるまでを俯瞰する - 第5回
交換レンズのもう1つの重要パーツ - 第6回
光学ガラス材から
写真レンズに仕上げる - 第7回
中国・仏山タムロン工場について - 第8回
どこで作っても、同じ品質、
同じ性能のレンズをめざす - 第9回
工場で交換レンズを作っている人たち - 第10回
デジタルカメラにとって良いレンズとは
田中 希美男たなか きみお
多摩美術大学・多摩芸術学園写真科を卒業後、フリーランスフォトグラファーに。おもにクルマの撮影を専門とするが、人物、風景、スナップなど撮影分野は多岐に渡る。おもな出版書籍は「デジタル一眼上達講座」、「デジタル一眼 "交換レンズ" 入門」(ともにアスキー新書)、「デジタル一眼レフ・写真の撮り方」(技術評論社)、「名車交遊録」(原書房) 、「名車探求」(立風書房)など。写真展は多数開催。現在、カメラやレンズ、写真関連の雑感を写真ブログ『Photo of the Day』や、twitter『@thisistanaka』で情報を発信中。
ホームページは
『http://www.thisistanaka.com/』
工場で交換レンズを作っている人たち
仏山タムロン工場を見学しながらいろんな話を聞いて、驚いたことがひとつあった。工場の生産ラインを管理する数十人の中国人管理職の人たちのほとんどが、日本語でコミュニケーションがとれるということだった。中国のタムロン工場の人たちが、それだけ努力をしているということではないか。
日本のタムロンの社員とダイレクトに話ができることのメリットはいくつもある。
たとえば、青森工場の技術者や本社の設計者たちと、通訳を介さずにテレビ会議をおこなって情報共有ができる。ほんの小さな問題も、なおざりにせず連絡を密に取り合って解決にあたることもできる。
日本人の技術者たちが仏山タムロン工場にやってくるのは、新製品の立ち上げ時に5~6名、短期の出張に来るぐらいで、量産が軌道に乗ればさっさと帰国してしまう。それは青森の工場と本社との関係ともまったく同じで、中国の工場だからと"特別扱い"されているわけではない。
仏山タムロン工場の製造ラインを管理する日本人は、多いときで2~3人が長期出張しているという状況。工場で働く人たちはほとんどが現地の中国人の人たち。それほどに仏山タムロン工場は「自立」してきているといえる。
第7回めのブログで、仏山タムロン工場のことについてはすでに紹介した。そこで少しお話ししたが、工場で働く従業員数は約3000人で、平均年齢は26.3歳と若い。ざっと、女性が70%、男性は30%の比率。
実際に仏山タムロン工場で働いているのは、どのような人たちなのだろうか。どんな人たちがタムロンの交換レンズを作っているのだろうか。私だけでなく皆さんも、きっとご興味があるだろうと思った。そこで社員紹介。
ただし数多くの従業員の方々を紹介することはとてもできないので、そのうちの10人ほどのかたに「代表」になってもらい、担当の職場で写真を撮らせていただき、お話しも少しうかがった。
以下、ご紹介をしたい。
勤続14年になる31歳のベテラン。研磨機械のセッティング、調整の責任者でもある。ほとんどの研磨機械に精通しているという"職人さん"だ。研磨された製品の品質管理も任されている。後方に見えるのはレンズ磨きの最終作業である「研磨工程」の機械。ここでガラスレンズは美しい透明状態に仕上げられる。
入社からまだ半年の新人。19歳と若いがとても勉強熱心で、向上心もあるという。将来が愉しみ。広東省北部の韶関市の出身。後に並ぶのは「精研削(スムージング)工程」のための機械。工場に納入されたガラス材は、まず荒摺され、次に精研削して、そして研磨工程で磨き上げられて写真レンズとなる。
勤続11年めになる35歳のベテラン。芯取りとはレンズの周辺を削って中心光軸を正確に出すレンズにとって重要な加工。コーティング前の取り扱いに神経を使うレンズや、コーティングを済ませたレンズなどを扱う。黄さんは、芯取工程の班長。芯取機械の技術管理や制御ソフトの調整などをおこなう。後に見えるのは芯取りの機械。
写真左、
31歳で勤続年数は8年。金属の切削加工をおこなうNC旋盤を使った工程の現場管理者。
梁さんは、専門技術学校卒業後に、他の企業でNC旋盤関係の仕事を約2年ほどやったあと、仏山タムロン工場に入社。班長として若い人たちを指導している。
写真右、
勤続6年めになる28歳。機械専門の短大を卒業した後、金属技術者として仏山タムロン工場に入社した。NC加工工程の係長で、新型機種を立ち上げるときに機械のセッティングの最終責任の資格も持つ。
勤続年数が18年になるベテラン。40歳。仏山タムロン工場が稼働し始めたころからの社員だ。現在、部長代理の管理職にある。後方に並ぶ成形機械に金型をセットして、樹脂パレットを材料にして精密なレンズ鏡筒を生産する。劉さんには製品の品質には強いこだわりがあって、0.003mm以内の精度でプラスチック部品を生産できるように努力をおこたらないという。「いろいろな技術を習得したのも、会社の上司や同僚のおかげです。感謝しています」とのこと。
勤続13年めになる40歳。コーティング工程のベテラン。係長職である。おもに技術管理などをおこなっている。特殊コーティングの機械の操作技能も持っている。黄さんの横にあるのが「傘」とよばれるもので、そこにレンズが並べられる。レンズが並んだ傘を後方に見えるコーティング釜に入れて、真空状態にした後にコーティング材をレンズ面に極薄に蒸着させる。
勤続年数6年めになる23歳。若いが行動力があって、いまは班長になっている。孔さんが手にしているのは、SPAF17~50mmF/2.8 XR Di II VC LD Asphericral [IF](B005)で、後方はそのB005の組み立てライン。組み立てラインの班長ともなれば、他のレンズの管理もできるし1人でレンズを組み上げることもできる技倆を持つ。
勤続年数は6年。性格の柔和な23歳で、指示されたことに真面目に取り組み即応する能力を持つと評判の女性。いま、おこなっている作業はSPAF17~50mmF/2.8 XR Di II VC LD Asphericral [IF](B005)のVC作動検査である。VCユニットはパーツとして部組みする工程でも慎重に検査されるが、さらにレンズに組み込んだ後に実際にカメラボディにセットして所定の条件を満たすかどうか何度もチェックをする。
従業員紹介の番外編。
写真右は、
海外生産担当役員で、中国・仏山工場の董事長でもある。大東文化大学の修士課程を卒業後タムロンに途中入社以降、19年のあいだずっと中国工場業務担当。仏山タムロン工場の立ち上げにかかわったあと現職。上海市出身でご家族を残して単身赴任。大声で早口の上海なまりの日本語を話す。
写真左は、
八代高専を経て長岡技術科学大学を卒業後、1993年にタムロンに入社。勤続23年。最初は機構設計の技術者として大宮本社で仕事を続け、中国工場が完成と同時に仏山に出向となった。北京市出身。ご家族と仏山市内に暮らす。「董事(くんじ)」とは中国の会社での役職名で、日本で言えば取締役に相当する。その取締役会の会長が董事長。「総経理」は社長にあたる。
田中 希美男たなか きみお
多摩美術大学・多摩芸術学園写真科を卒業後、フリーランスフォトグラファーに。おもにクルマの撮影を専門とするが、人物、風景、スナップなど撮影分野は多岐に渡る。おもな出版書籍は「デジタル一眼上達講座」、「デジタル一眼 "交換レンズ" 入門」(ともにアスキー新書)、「デジタル一眼レフ・写真の撮り方」(技術評論社)、「名車交遊録」(原書房) 、「名車探求」(立風書房)など。写真展は多数開催。現在、カメラやレンズ、写真関連の雑感を写真ブログ『Photo of the Day』や、twitter『@thisistanaka』で情報を発信中。
ホームページは
『http://www.thisistanaka.com/』